読みたかった本

読書の習慣があったはずなんです。
せっかく習慣にまでもっていったはずの趣味。
なのに出来なくなっていった趣味。
出来ないことを認めたくなかった気持ちの表れでもある、買ったけど読んでない本。
暇が出来たら読もう、今は忙しいからいつか、そんな言い訳で。
気になる本を惰性で、そもそも本屋で物色することが惰性で、そして買う気持ちはもはや何だったのだろうか?スッキリしたかっただけ?本を読みたい気持ちをまだ忘れてない失くしてないよと自分に言い訳?買っただけで読んだ気になる自己満?そんな何かで手元にあった本たち。
いわゆる積み本と化していた。

人はどれだけ簡単にバカになれるのでしょう?
どれほど、せっかく積み上げたものを無に帰することが簡単にできるでしょう?
ほんとしょうもない性質を持ってる生き物です。
ただ楽に流れただけです。
でもそれも正しい世の中の在り方生き方のひとつなんです。
だからそうなれる。

かつて私を救ってくれた読書というそれまでには無かった習慣ですら簡単に手放せるほど人は愚かで何も学びませんね、世間の安定という言葉や自分自身の気楽さの前では。

読書することが凄いとは言ってません。
しないことがダメだという事でもない。
ただ私には大事なものになってたはずのそれですらしなくなった自分を嘆いているだけです。
すればいいってもんじゃないし。

不思議です。
現在積み本に着手できるようになり面白いことを感じてます。
その当時読みたかった本は今読むためにあった本のように思えます。
同じ人が買っているんです、そりゃ好みは似てるでしょう、惹かれるテーマも共感できるのは当たり前です、同じ人ですもんね(笑)
けれど...きっと感じ方は違ったはずです。
買った動機=得たい感動・求めた慰めなどは違ったはずなんです。
そして、今の自分のために過去の自分は用意していたのかな?と思える内容だったりするんです。
読んでいても、タイトルだけでも、テーマにしても。
だから不思議です。
そう都合よく辻褄を合わせたくなるのも人間の性ですが、それを承知でも響いてくるんですよ。
考えてしまうんですよ、新しい気づきが視点が感性が生まれたりする。この響き。

感動とは心が動いたことを言う。
これがどれだけ人生に変化をもたらすのかを私はかつて何も言い返せないほどに経験しています。
それでしか人との会話の疑似体験が出来なかった時期だから、なおさら。
(人はやっぱり人の力でしか救われないのですかね?生の体験というかぬくもりというかそんな何か)

このコロナ禍で音楽などの芸術は必要あるのか?
こんな論争はいつまで経ってもいつの時代でも出てきますね(笑)
震災時、震災後ですらあるこんなしょうもない問題。
答えすら自分たちで出しているのに。
芸術はむしろそんな時こそ本当の存在感を示している。
それなのに絶えずあるこの下らない価値観。

心を動かせるものの存在意義なんて人が生きている限り無くなりませんよ😊
そのために、むしろそのために人は歴史を紡いでいるのではないのでしょうか?
どこまでいってもお金などの物は強いです。目に見えて強いですからね。
でも最終的に人の心を救えるのは目に見えない心を動かせるものと知っているんです。
だから今日まで在り続けているのですよ、そういったものは。

自己啓発的な、知識習得のため、そんなイメージが強い読書ですが、、
漫画も今や誰もバカにできないでしょう?
何なら大人の方が操られるようにミーハーになってるじゃない(笑)

いろんな読書がありますが、勉強を離れ、ただ楽しむ読書というのも大事ですね。
それこそ今1番欲している大事な学びをもたらしてくれる本を読んでいる瞬間かもしれません。
だから読みたかったんでしょう。
だから心惹かれて購入しておいたのでしょう。
いつか手に取ると信じて。必ず必要になるその時(未来)のために。

(初めに言いたいことと大分ずれたんで、なんとな~くきれいに終わらせてみたw)


私はやっぱり構成が甘いのかな。。。行き当たりばったり文章になる(-ω-;)
こういう事を書こうとどれだけ頭にあっても変わる、でも書き出さないと出てこないし、そして変な方向に進む。
結局、頭にある言葉をそのままうまく話せない現実は変わらないのだろうな~😂



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