「自分のせい」という主体性の話

何かのせいにしても何も変わらなかった。
だから自分のせいにしてました。
そんな持論を思い出した。

自分を責めるわけではないです。
自分を変えるために自分のせいにしてた。
自分の人生の責任を自分で取ることにした。

今の自分は今までの自分のせいです。
自分で選び進んできた結果だからしょうがない。
「もしも」の話は夢は妄想は、楽しいけど選んでこなかったんだから意味ない話、悲しいけど諦めよう。
でも、、、それなら自分でなら、また変えれるかもしれない。

そんな自分のせい。
心の壁、目の前の問題、そのような事の時に使うから自分のせい。自分のおかげではない。

本当はどうしようもないこともあるんでしょう。
(実際は悪いのは相手の問題だったってこともあるはずだけど)
でも例えば対人の問題なら、半分はやっぱり自分のせいでもありますよ。
そんなこじつけで乗り切ろうとしてた。

そういう生き方をしていたなぁって思いだした
今できる解決を考えろ、問題はもう起きてるからどうしようもない。
自分のせいの部分だけでもどうにかしろと。

どうにかしてみる生き方を約束した。自分と、したんだった。

やったらできるんです、意外と。
ほんの少しの勇気で済むことだったりするんです、1歩を踏み出せるかどうか。
すぐに100を求めるから1に進めない、1も認めれない。
100を欲張るけど、すぐに100にはなれない、だから諦める、言い訳する。
そうして0のままをどうにか正当化するだけの恥ずかしい姿で強がる。
もうなりたくないそんな人には、、だから...0.1でもいい、いつか1にもなる。

そんな踏み出す勇気を持つために自分のせいにして考えてた、そして行動した、できたんだ。
(解決したのかはよく分からないものもある)

乗り越えられない壁はない、とかいうじゃないですか。
その時にはあるんですよ、でも別の壁を越えてるうちに挑めるようになってたりした。
気が付けば壁が勝手に無くなってたりもした。
分からないんですよその時はそんなこと。未来なんてそんなもん。

望んでも願っても、誰かって、何かって、他って何も変わらない。
自分しか変えれないもんか...
一種の諦めから始まったのが「自分のせい」という持論。
今までしてこなかった生き方をしたら未来は変わるかな?
そんな希望を持って生まれたのが自分のせい。

これが私の思いつき行動の始まり。
守っていたわけだ、自分との約束。始まりの理由を忘れていても、あぁ。。。
ずっと続けてたんだ😭


悪い過去ばかりじゃないや。

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